「病気は悪・健康は正義」という決めつけ。

 

私は「健康が一番」とは全く考えてません。

人は何かしら不調を抱えることがありますし、

歳を重ねれば身体の機能は衰えます。

それを「身体に気をつけてないから」と、

責める気はないのです。

まあ、仕方ないよね、どう労ろうかね、と思うだけです。

 

「病気や障害を持つことは、自己管理ができていない証拠」と

考えていた時期が長かった医療従事者です。

自分の健康と病気に対する考え方が変わった

きっかけの一つが、この本との出会いです。

「あなたたちが病気をするのは、

あなたたちの悪い習慣を直さないからです」と、

国際機関の看護師らしき人が、

住民の前で仁王立ちになって

いわゆる「健康的な生活の指導」をします。

そのページを見ると、

年々考え方が変わっていることに気づかされます。

初めて見た時は、違和感を感じましたが、それだけでした。

ですが、習慣を変えるためには経済力が必要です。

その経済力をどこで手に入れられるのか。

水をきれいにする方法のために、

どれだけの労力が必要なのか。

「健康的な生活を送りたくても、生活習慣を変えられない人」

がいることに気づきました。

個人の努力だけでは変えられないことが

多くあることに気づきました。

 

年齢性別関係なく、腰痛・関節痛に悩まされる人は多いです。

それを

「正しい動き方を知らないから、身体を痛めた」と

評価するのは、なぜでしょうか。

「学習する機会がないから、身体を痛めた」と

考える人がいますが、

学習する機会がある人が少ないことを知らないのでしょうか。

看護・介護系の研修のほとんどは

「あなたたちのケアと動きが悪いから、

患者さん・利用者さんの機能が回復しない。

自分たちの体を痛める」という内容です。

否定され続けると、人間は「自分には能力がない」と

諦めることを学習します。

 

不調を相談される時、これから自分がワークをしていく時、

悪と正義で判断することだけはしないと決心しています。

わざと身体が不調になるようなことをしたわけでないし、

腰や関節を痛めることをしたわけではありません。

自分の身体と折り合いを付けて、

楽な生活を送る手伝いができる教師になりたいと考えてます。

peacefuly.

 

 

 

 

peaceful.

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