他の要素を含めば、判断(judgement)できなくなる

special thanks ちゃんみおさん

お買い物ならここ!藤巻百貨店のお中元


看護師・看護教員時代、仕事内容のひとつで「判断すること」がありました。看護師時代は患者さんの状態や新人看護師の仕事ぶり、看護教員時代はテストや実習の評価です。

今考えると、「判断すること」にかなり余分な要素を加えていました。

患者さんの状態を観察して判断する時に、自分の力量がない・自分の前に担当した看護師のこと・患者さんの性格…余分な情報を勝手に自分でかき集めていました。だから「判断」したことに、たくさん自分の感情や看護師や患者さんの性格を付け加えていました。

 看護教員時代は、だいぶんシンプルに「判断」することができました。試験や実習の評価は、採点基準にそって点数をつければいいだけです。シンプルに「判断」できた理由は、余分な情報を考えると時間がかかりすぎるからです。

 学生の人数分、試験や実習の採点をするのに余分な情報を考えていたら時間がかかりすぎるに加えて、「判断」する基準が曖昧になります。学生の性格・文字・解答の文脈は、判断基準ではありません。

 アレクサンダー・テクニークを始めて2年目、自分の習慣や身体に気づきやすくなりました。気づいた時に、「この習慣だからうまく動けない・疲れる」は思っていいのですが、「気づかない自分は鈍い・アレクサンダー・テクニークに向いてない」という気づきは余分です。

ただ自分の動きや心身の習慣に気づけば、そこから余分な情報は必要ありません。「気づき」と「感情」と「考え」は一緒のようで別なものなのですね。

peacefully.

判断なしに、キレイと感じる難波の夜景

        旅行の予約なら 楽天トラベル

 

 

タイトルとURLをコピーしました